「今 この苦難の時期に 広島から思うこと」
―初代会長板野平先生に思いを馳せながら―
柿本因子(広島支部長)
全日本リトミック音楽教育研究会広島支部例会は新型コロナウイルスの感染拡大を懸念し、活動を自粛しております。収束の見通しが不透明な中で、会員の皆様はそれぞれの立場で、さまざまな思いをもってこの自体を見つめておられることでしょう。「人と人との関わり合うこと」がリスクだと言われるようになっている今、「音楽の学びと教え」をめぐって、さまざまなことが起きています。「不要不急」と言われ対面での演奏活動や音楽教育の現場は閉ざされ、オンラインによる様々な音楽教育の活動が試みられる等、枚挙にいとまがありません。共に「音楽する」ことの意味、人と人とが「響き合う」ことの大切さを感じずにはおられません。
さて、会員の皆様は「広島が、全日本リトミック音楽教育研究会発祥の地」である事をご存知でしょうか。この研究会初代会長である板野平先生(広島県出身)が、米国ニュヨーク・ダルクローズ音楽学校を卒業し、帰国後始められた広島でのリトミック研究会が源となり、全日本リトミック音楽教育研究会が1963年(昭和38年)創立、同時に広島支部も設立され日本各地に支部が誕生しました。そして、この教育の素晴らしさが認知され、全国的に活動が広がり盛んになっていきました。
板野先生は、この研究会が昭和30年代から令和2年の今日まで長期にわたって維持され、長い歴史を刻むことができた要因として、全日本リトミック音楽教育研究会・会報「音楽と動き」50号記念(抜粋)に以下のように述べておられます。
■ 求める心
昭和30年代を振り返ってみれば、当時の状況は、すでに抑えきれない、激しエネルギーを内在させていたのである。私の心も、激しく何かを求めて横溢し、じっとしておられない状況であった。
■発足
確か昭和30年夏、遂に研究会は発足した。広島、関西(大阪)、仙台、東京。次々と各地域に支部が誕生し、それはあたかも燎原の火も例えのごとく全国に広まっていった。この大きな発展と、長い歴史を刻むことができた原因は一体どこにあったのであろうか。
■盛り上がる力
研究会が、他から与えられた組織でもなく、また、他から強制されたものでもなく、参加者自身の情熱によって全日本リトミック音楽教育研究会が発足し、永きにわたってそれらの人々の英知と努力が結集されたことにあると思うのである。
■発展し、持続するということ
私たちはここで考え、そして経験上一つ結論を生んだ。それは、研究会の方向性に大多数の人たちがよいと価値判断し、評価し、納得でき、しかも研究内容を応用し、適用できる条件が整っていることが重要である。
■独創性、普遍性、そして適応性
この研究会を今後ますます発展させ、持続させるためには、研究内容をますます積極的かつ独創的に求め普遍化、普及していくことが重要になっている。
広島支部は、第1回講習会の講師として板野先生をお迎えし、その後、国立音楽大学音楽教育学科(リトミック専攻)の先生方、本研究会本部指導講師の諸先生の指導のもとに今日まで歩んできました。
この状況下、全国どの支部も十分な活動を展開する事は困難ですが、広島支部として、「何ができるか」、「何を伝えるか」、「何に取り組むか」、前向きに捉える重要性を感じます。
今後とも、板野先生が会報「音楽と動き」の表紙に示されている言葉「よい教育を多くの人へ」「よいリトミックと音楽を多くの人へ」「よい子たちのためによい教師になろう」を真摯に受けとめ、会員の皆様と共に、リトミック教育について研究・実践を深めていきたいと思います。