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表現するということ 

​―プラスティックアニメを通して― 

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​ 馬杉 知佐

(広島支部講師)

 新型コロナウイルスの感染が日本国内において広がり始めた当初から、多くの教育機関だけでなく音楽・舞台芸術公演はその規模の大小を問わず、他の業種に先がけて自粛を行ってきたように思います。国内での感染確認から1年を過ぎた現在においても、残念ながら状況はあまり改善されておらず、演奏会や発表会などといった大きなイベントだけでなく、日々のレッスンや授業も制限を受けています。しかしながら、芸術活動は常に社会情勢と表裏一体であり、時の指導者や権力者、戦争や疫病などの影響を受けつつも、芸術家の信念は様々な時代を乗り越え、現代まで受け継がれています。

【激動の時代を生きたダルクローズ】

リトミックの創始者である、エミール・ジャック=ダルクローズ(1865-1950)は44歳の時ジュネーブ音楽院を退職し、彼の求めるリトミック教育の集大成をドイツのヘレラウにあるリトミック学院で行うことになります。ヘレラウにはロシアバレエ団のニジンスキー(1890-1950)、ディアギレフ(1872-1929)、作曲家カール・オルフ(1895-1982)なども訪れており、様々な刺激を与え合っていました。そこですでに親交を深めていた舞台芸術家A.アッピア(1862-1928)との協同作業により、舞台上でのプラスティックアニメの表現を創り出していきました。1913年にはドイツに留学中であった山田耕作もヘレラウを見学しています。

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 1911 年 4 月 22 日、ホールを備えたダルクローズ学院の施設が着工されました。中央にある最大のホールは縦50メートル、横 16 メートル、高さ 12メートルです。劇場空間には固定された舞台はなく、60の可動式階段のみがあります。またこのホールの中には観客と役者の両方が位置し、役者と観客の間をさえぎる 物は何もありません。

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ヘレラウのホールで行われたプラスティックアニメ

ホール入口にて。 ダルクローズとその息子

​ ヘレラウでリトミックの可能性を開花させ、順風満帆にみえたダルクローズの業績にも第一次世界大戦の影が忍び寄ります。1914年8月開戦と同時に学院は封鎖。翌月、ドイツ軍によるランス・ノートルダム大聖堂の砲撃に対し、同胞(ジュネーブ)の学者や音楽家等と抗議文を送りました。ドイツの各新聞はこのことを一斉に非難し、関係性はさらに悪化。ダルクローズのヘレラウ学院復活の道は完全に断たれました。

しかしながら、ダルクローズは翌年1915年4月にジュネーブにダルクローズ学院を創設し、作曲や執筆、学院の機関紙の発行など今まで以上に精力的に活動を続けました。終戦後は活動範囲をヨーロッパ全土に広げ、リトミックの啓蒙活動に力を注いでいきました。第二次世界大戦中は直接的に政治に介入することはありませんでしたが、海外にいるスイス人向けに自作の曲をラジオで流すなど、音楽家としての意思を表現していました。彼は作曲家として多くの曲を世に残すとともに、舞台芸術にも情熱を傾け、85歳の長い生涯を閉じるまでプラスティックアニメやオペレッタを世界中で上演していきました。

【プラスティックアニメについて】

 プラスティックアニメはダンスとは異なった表現方法です。音楽を身体で感じることはもちろんですが、音楽作品を理解するために、その作品を動きによって視覚化していきます。楽譜を見ながら、ハーモニー、リズム、メロディー等をよく聴き分けて分析し、それらを基にその曲が身体から流れているかの様に表現することが大切です。楽譜、音、動き等様々な要素を用いてグループで意見交換をしながら、オリジナル作品を作っていきます。このような活動は、トレーニングであると同時にそれ自体が芸術活動になります。ダルクローズメソッドではプラスティックアニメを「リトミック・ソルフェージュ・即興、和声やボディーテクニックなどで学んだ事を集約し、それらによって深く理解された創造的な動きによる音楽作品である」としています。

【幼児教育科としてのプラスティックアニメ】

 私事で恐縮ですが、馬杉ゼミ(比治山大学短期大学部)ではプラスティックアニメに毎年取り組んでいます。プラスティックアニメはグループで協力して行う活動であると同時に、個性も生かされます。音楽を聴いてイメージした動きには、間違いも正解もありません。それぞれの思考力・判断力・適応力に応じた表現ができるだけでなく、グループ作品として協調性・コミュニケーション力などが養われます。学生はもちろんのこと、子どもの発達に応じた表現方法が「子どもと一緒に模索できる」のも魅力の一つです。決して教員主導ではなく、子どもの内側にある様々な可能性を引き出せる表現方法でもあります。

今年の活動について、まず方法の工夫を書いてみます。コロナの影響で学生が登校する事ができず、正直プラスティックアニメのゼミナールを開催するのは無理なのではないかと思っていましたが、学生の熱意に押され厳戒態勢の下、3密を避け練習を続けていきました。長時間にわたる合同練習は不可能でしたので、携帯で撮った動画をラインのノート機能を用いてシェアーしました。お互いの気付きなどもアップでき、日を追って議論に深みが出てくる過程も発見できました。もちろんプライベートにおいても、日々体調管理などにも気をつけ、それぞれが責任を持った行動をとるように気を付けていました。ゼミの時間中はアイデアの視覚化と飛沫を防ぐため、付箋を活用しました。

つぎに活動内容について、このゼミでは、子どもとの活動を考えて曲によってインスパイアされたストーリー作りから始めます。今年はハチャトゥリアン作曲バレエ組曲「ガイーヌ」から、「バラの乙女たちの踊り」「クルド族の踊り」「剣の舞」を選曲しました。3曲目の「剣の舞」の時に学生から、「先生、この曲で自分達の思いを表現したい」と言われました。その題名は「Destroy Covid-19 (コロナをぶっつぶせ)」でした。コロナ禍でもたくましく生きるありのままの自分達を表現したかったそうです。会う事も、話す事も、一緒に食事する事も、触れ合う事も移動も制限されているからこそ、身体全体で表現出来る事があるのだと私自身が思い知らされました。

​馬杉ゼミ「プラスティックアニメ」実践

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付箋による話し合い

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Covid 19を吹き飛ばせ!

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激動の時代をすりぬけて

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Covid 19が収束するように祈る

 本年度は様々な大会や学会がリモートに変わり、馬杉ゼミの発表方法も変更しました。1月17日に名古屋音楽学校リトミック養成科の発表会に、ズームによるリモート参加をしました。広島県は集中対策期間中で、残念ながらホールを借りる事さえできなかったので、事前に録画したものをYouTubeにアップしました。大人の指導者の方々に混じっての発表だけでなく、人前で見せるのが初めてだったので学生も緊張していましたが、自分達以外のプラスティックアニメの作品の鑑賞や参考になるご意見を沢山頂き、とても刺激になりました。

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名古屋から見た馬杉ゼミ

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YouTubeを共有しての発表

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専修科のオンラインでの発表

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距離を超えた集合写真

 コロナの収束はまだまだ先が見えません。しかしながら、可能性の扉はどの時代も開かれているように思います。リトミックを通して、プラスティックアニメを通して、子ども達に何を残し何が出来るのか、会員の皆様と共に考えて成長していきたいと思います。

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