「リトミックに育てられて」
―息子のこと、「びっくりばこ」のこと―
大田垣 素子(広島支部会員)
息子のこと
『すいすい、ぶくぶく』
わたしの三男には病気の後遺症により知的障害があります。乳児期には発達の遅れはそれほど目立ちませんでしたが、幼児期になり幼稚園での集団生活が始まると、息子のことでとまどうことがさまざまな場面において多くなりました。自分自身に幼稚園教諭の経験はあっても、いざ我が子のこととなると「親としてどのように子育てしていけばいいのだろう」と大きな不安を抱えていました。
そこで短大時代の恩師である柿本因子先生を訪ね、「息子が『生きる自信』を少しずつ失くしつつあるようです。息子の笑顔がもっと見たいのですが、音楽をとおして何かできることはないでしょうか」と相談しました。
柿本先生は快く受け入れてくださり、さっそく息子に先生のピアノの音を聴かせてくださいました。最初の頃、息子はわたしの後ろに隠れて不安そうにしていましたが、数回通ううちにピアノの音に合わせて身体を動かすようになりました。先生が「今日は泳いでみようね」と声をかけられると、息子は「すーいすーい」と声を出しながら、そして手も拡げながら、泳ぐまねをして動き始めました。それは、息子が初めてわたしのそばから離れてひとりで自由に動き回った瞬間でした。
次に「今度はもぐるよ、ぶくぶくぶく」と先生がご自身の鼻をつまみながらおっしゃいました。その鼻をつまむ動作がとてもおもしろかったのでしょう。息子は「きゃっきゃっ」と笑顔で動き回りました。
さらに回を重ねると、「ぶくぶくやりたい」と自らの意思を伝えるようになり、先生の声かけがなくても『すいすい、ぶくぶく』を楽しみ、ピアノの音による「泳ぐ」「もぐる」の聴き分けができるようになりました。「息子がリトミックに目覚めた原点は『すいすい、ぶくぶく』だったね」、今でも柿本先生とわたしとの語り草になっています。
『まりつき』
小学校3年生のとき、運動会の演技で『まりつき』をしなければなりませんでした。『まりつき』に向けて練習を試みますが、息子はボールがうまくつけません。ボールがとんでもない方向に転がっていき、演技どころではありません。
柿本先生のレッスンで、「いっしょに遊ぼう」の声と同時にピアノ演奏が始まり、息子は音に合わせて歩いたり立ち止まったりを先ず楽しみました。
次に、「トン・ウン・トン・ウン」のリズムで膝を曲げたり伸ばしたりしているうちに、からだ全体でリズムが取れるようになってきました。そして、ボールを持たせると、不思議なことに、あっという間に、『まりつき』ができるようになっていました。
運動会当日の同級生とともに、得意満面に演技をする息子の姿を忘れることはできません。
『すいすい、ぶくぶく』と『まりつき』のエピソードは、リトミックのすばらしさをわたしに再認識させてくれました。このことをきっかけに、わたしは比治山大学短期大学部幼児教育科研究生として、「障害児のリトミック」をテーマに学ばせていただくことにしました。
「びっくりばこ」のこと
「びっくりばこ」の誕生
そのころ、障害をもつ子どもたちのお母さんから「音楽あそびをして欲しい」と依頼され、「多くの人にリトミックのすばらしさを届けたい」との思いから引き受けることにしました。「何が始まるの?」見通しをもつことが苦手な子どもたちが大勢いるなか、お母さんたちもいっしょになって音楽を楽しみ、メンバー同士もうちとけていきました。
「コンサートに行きたい気持ちはあるものの、子どもが声を発したり動き回ったりするので行くことができない」という声が届き、研究生たちに相談したところ、「ミュージックベルやトーンチャイムを聴いてもらおう」と話がまとまりコンサートを開きました。このことをきっかけに、ミュージックグループ「びっくりばこ」が誕生しました。
「”ポップコーン”リトミッククラブ」と「びっくりばこ」の協演、曲は『パッヘルベルのカノン』
そして「”ポップコーン”リトミッククラブ」も
ミュージックベルの演奏を初めて間近で見た子どもたちはとても喜び、そして「ぼくたちも演奏したい」という心が芽生えました。「きらきらぼし」から練習を始め、1年後には「びっくりばこ」のメンバーとともにコンサートで演奏できるようになりました。「”ポップコーン”リトミッククラブ」の誕生です。
コンサートの回を重ねるごとに成長し、立派な「びっくりばこ」のパートナーとなりました。第15回ラストコンサートでは、「翼をください」を2部合奏しました。大きな拍手が沸き起こり、涙を流して感動してくださる方の姿に、胸にこみあげてくるものがありました。
『翼をください』2部合奏。「ぼくの音、わたしの音はまかせて!」
リトミックに育てられて
以前は、障害をもつ子どもにどのように接すればよいかと、指導に不安を感じていました。しかし、階段をいきなり「ポン」と上がるのがむつかしいのならば、階段をいくつかに分けて、例えば、嚙み砕いたり、基本に戻ったり、遠回りしたり、そのときの状態に寄り添っていくことが大切だとわかりました。わたしのリトミックの世界は、子どもたちと、さまざまな方向から向き合い接することで、大きく拡がっていきました。
今、大人へと成長した「”ポップコーン”リトミッククラブ」のメンバーは、一般就労したり作業所へ通ったり、それぞれの道を進んでいます。あの頃いっしょに音楽を楽しんだメンバー同士の絆はとても強く、長い年月を経ても「びっくりばこ」のDVDをしばしば見たり、街のどこかで自分たちが演奏した曲が聞こえてくると「あの曲だ」と反応したりするそうです。「やってよかった」今でも感慨深いものがあります。
子育ての指針にしようとの思いからリトミックを学びましたが、気づけばわたしがリトミックに育てられてきたように思います。これからもリトミックをとおして人との輪を広げていきたいと思います。
「びっくりばこ」の仲間たち。柿本先生を囲んで。
昌文くんの書
2019年4月:初めての個展にて